isono55’s diary

大好きな森田さんとV6のこと。日常のアレコレ。

ちょっとした思い出話的な、なにか。

さーむーいーですね〜。
いよいよ12月が目前ですか。そうですね!


こんばんは。


今日の「にこ健」。


読んでて脳裏によみがえった、自分の思い出話っぽいものを。
以下にちょろっと。



追記:
改めて「以下」部分を読み直してみて、
思い出しついでにつらつら書いてしまったことに超照れた!
ぎゃーなんかとても恥ずかしい!ぎゃー。







昔、うちにいたハムスター。
メスで、「京ちゃん」と名付けました。
我が家に加わった、今のとこ唯一の「家族」以外の「家族」。
私は学生の時で、学校やら遊ぶことやらで忙しいフリをして、
ろくに何もしてあげられないまま、子宮がんで2歳にもならないで亡くなってしまいました。


最後の1ヶ月くらいはスポイトからご飯をかろうじて食べるくらいで、
もう覚悟のようなものはできてました。
夏休みの朝。
母親に叩き起こされて、動かなくなってる京ちゃんを見た時も、
「あぁ、ついに」と思ったくらい。
だから、ゲージの下に敷いてある新聞紙に涙が落ちるまで、
自分が泣いてることに気付きませんでした。


いわゆる、「目頭が熱くなる」的な感触もなしに泣いたのは、
今のとこ、あの時だけ。


死んでしまった、という事実を目にして悲しかったのか。
(でも悲しがる資格さえなかった気がする)
昨日まで動いていて温かかったものが、硬くなって温度を感じなくなってしまったことがショックだったのか。
結局何もしてあげられないままだった自分が情けなかったのか。


・・・知らないうちに勝手に泣いてたので、何で?ってとこが未だによく分からないですけど。
何もしなかったくせに、涙だけはいっぱい出るんだなぁと思いました。
あの瞬間の、京ちゃんの硬い手触りと、
自分に対する絶望感、みたいなものは今でも忘れられない。


たった2年しか一緒に過ごせなかった、何もしてあげられなかった自分ですらこんなだから。
約13年間共に生きた「家族」を失った三宅さんは
どんな思いでいるんだろう・・・と思うと、なんだかぼんやりしてしまう。



三宅さんの大切な家族が、
安らかに虹の向こうへの旅路につけたことを願います。
三宅さんの大切な相棒が、
そこから三宅さんを守ってくれるだろうと信じます。